校長室より

「喜ぶ」子どもの姿を見て

2学期に入り先生方の授業見学という形で授業を見に行く機会が増えました。

そんな中,先日の授業で子どもの喜ぶ姿がとても印象に残りましたので紹介したいと思います。

絵と文字を合わせる神経衰弱のような学習をしていた場面で

一組の文字と絵を合わせることができた子どもが「やったー」と大喜びをしました。

その喜ぶ姿は本当にうれしそうで、心の底から「うれしい」を表現している正に「喜び」でした。

そんな子どもの姿を見て、最近はあんなに純粋に喜んだことはないかもな?と思いました。

大人になるにつれて、様々なフィルターがかかり、「喜び」や「嬉しさ」「悲しさ」などを

思う存分表現をすることが難しくなってきているように感じ、素直な「喜び」にこちらが元気をもらいました。

そんなことを考えていると、以前ある記事で見た海老原宏美さんのことを思い出しました。

海老原(進行性の難病を抱え、インクルーシブな社会の実現に向けて活動されていた方で、昨年お亡くなりになりました。)さんは

「命に価値なんてない」と言って「価値はつくるもの」だと述べて、屋久杉を例に出して次のように説明しています。

毎年、見に行った多くの人が、屋久杉に勇気をもらって帰ってくる。しかし、屋久杉は、何か特別の貢献をしているわけではなく、ただ生えているだけ。人が勝手に勇気をもらって帰っている。価値とは、このように、あらかじめあるものではなく、人がそこに見いだし、つくり出すものなのだ。

学校では子どもたちの素晴らしい笑顔にたくさん出会い、大人たちはその姿に「勇気」や「元気」をもらいます。

私たちは子どもたちの姿に自然と「価値」を感じ、「勇気」や「元気」をたくさんもらっています。

それはまた屋久杉などからもらう、「勇気」や「元気」とは形が違っていると思います。

そんな子どもたちに接している私たちは、子どもの「価値」を発見し、これからも発信し続けたいと思います。